習慣の奴隷と習慣の達人

昨日は習慣の奴隷のお話しをしました。

未来に進んでいく目標はあるのに、どうも古い習慣にいとも簡単に戻ってしまう。

土日をいつものようにだらっと過ごしてしまったり、仕事中は次の休日はあれもしよう、

これもしようと考えているのに実際には、いつものように過ごしてしまう。

まだ、このように次の休日はこんなふうに過ごそうとか、今ある仕事を工夫して、こんなふうに変えていこうとか、

している時はいいけれども、それをすることもなく、ただただ、日常を過ごす。

ルーティンワークをこなしていくだけの毎日になると、どうですか?

それを3ヶ月も6ヶ月も続けていたら、どんな日常も、仕事もマンネリ化してきませんか?

マンネリ化してくるとどうなるでしょう。愚痴が出てきませんか?

それが不平不満になり、またエネルギーは停滞して、さらにやる気が起きなくなる。

そんなサイクルの中に入ってしまうと大変。なかなか出てこれなくなります、なぜ、出てこれなくなるか?

今日はこのお話しをしたいと思います。

そもそも、なぜ、今お話史したような習慣の奴隷になってしまうのでしょうか?

日々をただ過ごすだけの日々を送ってしまいがちになるのでしょうか?その理由を考えました。

①自分の意思、意欲がない。惰性で生きる

 こうなりたいんだ。こう変えていきたいんだ。今ある古いものを新しくしていきたいんだ。

そんな気持ちが湧き出てこない。惰性で過ごしてしまうことになる。

惰性の言葉の意味は、「これまでの習慣や意識せずに続けてきた癖や、

同じ運動状態をそのままつづけようとする性質を示す言葉」です。

②無意識の行動を繰り返す

③なんかおかしい!と感じなくなる

主体性をもつことなく、毎日の繰り返しに疑問を感じない

意志の力を使っていない。

具体的にどんな行動かというと、悪習慣と呼ばれるものです。

家に帰ったらゲームに没頭する

主体性をもって動いていないから、まぁいいかぁと先延ばしにする

インターネットで動画をぼーっと見てしまう

あっという間に時間が経ってしまう、その結果、不健康につながりやすい。寝不足になる、

行動力がなくなる、やる気が起きなくなる、変化しにくくなる。惰性で過ごす、

そして一番のマイナス要素は思考が停止するということです。

なぜか?疑問を感じなくなるからです。日々を見直すとか、改善するがないから思考が伸びない。

こうしてみようとか、もっと、これを工夫してみようとか、想像力が働かなくなる

結果、5年、10年同じ仕事の仕方をしている

同じ仕事を長く続ける。これは素晴らしいこと、職人さんもそうですよね。

ただ、同じ仕事の仕方、改善のないままし続ける、改めて見直すがなくなってしまう。

職人さんのように日々、改善を重ねて技術を磨く、これは習慣の達人。

はたから見たら同じことの繰り返しのように感じるかもしれないけど、目には見えない技術を磨いておられる。

けれども、改善のない習慣化は習慣の奴隷になってないでしょうか?

月曜日 朝起きて顔洗って仕事に行って、ジムに寄って帰ってくる

火曜日 朝起きて顔洗って仕事に行って、ジムに寄って帰ってくる

水曜日 朝起きて顔洗って仕事に行って、ジムに寄って帰ってくる

と。一定のリズムの中で過ごしていくことは心地よいです。しかし、思考停止になりかねない。

習慣化の良い面は、意志の力を使わずとも、その行動を自然ととる。

行動が繰り返されたら、どんどん自分の意識レベルや技術力がどんどん上がっている、

ここにつながると習慣化していくことの良さが際立ちます。

毎朝、早起きする、掃除をする、筋トレする、1日の振り返りに日記をつけるなど。

日常のリズムを見直す、改善する、そして工夫しながら思考を広げていくができると

日々は充実して豊かさが増していきますね。

自分で工夫して良い習慣を作っていくこと。昨日と違う今日を生きあること、無意識の自動操縦をやめて、

習慣を変えるとどんないいことがあるでしょうか?少し意識してもらうキッカケになれればいいなと思います

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