一昨日、快活クラブに行って、お客さんが喜ぶスペースを提供されているなぁと思った。
ドリンクバーがあったり、本読んで仮眠できる、シャワーブースがあったり。
そういったものを整えて自由に使ってもらう。お客さんが選択できるスペースがいいなぁと感じました。
で、昨日、1人インタビューしようと思ったんですよ。1人男性のターゲット見つけた。
その人は1人で黙々とビリヤードをやっている。声かけようとしたけど、
あまりにも集中されているから邪魔したらいけないなぁと思って、結局誰にもインタビューはできなかったです。
お客さんが求めている場所を提供した形がネットカフェなんだなぁと思いました。
それを個人に置き換えた時に、相手が求めていることを本当に理解できているかな?と考えたのです。
兎角私たちは、自分が良かれと思ってやったことが、相手にはそれほど喜ばれていなかったり、
求めていることが全然違ってずれていたりすることもあります。気づかぬうちに押し付けていることもある。
特に親子関係でないですか?母親が子供に「勉強しなさいよ。
なになにしなさいよ、あなたのためを思っていっているのよ」というセリフ。これ言われた時に嫌な気持ちにならない?
あなたのためを思って言っているのよを言い換えれば
「あなたがこうしてくれたら私は心配や不安、ストレスを抱えなくて済むのよ」と言われているのと同じ。
つまり操作されている。母親が子供を思うようにしている。だから、言われると嫌な感じがする
「あなたのためを思って」という言葉で、どんな場面を思い浮かびますか?
母親が子供に対して何かを言うときによくきかないでしょうか?
「勉強しなさい。あなたのためを思っていっているのよ。」
これは、いつも成績を気にしているお母さんが子供が勉強していてくれたら安心だから。
お母さんが安心したいから言っている
この本意を捉えた子は自分のことを本当に思って言っているのか?と疑問に感じる。
すると言うことを聞かないか、もう一方で、すごく純粋に母親に安心感を与えるためには
勉強したらいいんだと理解して勉強する。
母親の不安をとることと自分が勉強しなければならないと言う2つの苦しみを受けることになる。
母親のために勉強をするという訳の解らぬことが起きる。
この母親の「勉強しなさい、あなたのためを思って言っているのよ。」を訳すと
「あなたが勉強してくれないと私は不安なの」と言っているようなもの。もし、このメッセージに気づいたら、
あなたはそれでも母親の言う通りにしますか?母親の不安をとるために勉強しようと思いますか?
私は知らんがなと言います。今なら。
勉強している姿を見せないと不安になるのは母親の問題、勉強するかしないか、したいかしたくないかは私の問題。
このそれぞれの問題に対して境界線が必要。
それより上なのは、今日、誰を喜ばせるのができるか?と考えられた方がいいなぁと思ったのです。
相手に送るメール一つでもその人にとってわかりやすくかけているか?とか
今日は誰々さんに私から挨拶して、馬鹿なことひとつ言って笑わせてやろうとか
誰々さん、メイク上手になってきたなぁ。それを伝えようとか
誰かを喜ばせること、豊かにすること言えているかな?
目の前の人が悩んで苦しんでいるんだったら、それを少し取り除くために私ができることってないかな?
その時その時、できることを精一杯やって喜ばれることができたらすごく幸せなことだなぁと思いました。
それを仕事にしたら収入につながるんだと言うことも。ここが基本だなぁと言うことに気づいた次第であります。
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