富士山登頂3回した私が実感した3つこと

会話や質問をして、人の悩みを解決したり
才能や可能性に気づきを与え
目標達成をサポートをしている
マインドセットプロデューサー このわみちこです

富士山登頂3回した私が実感した3つこと

こんな過酷なことをなぜ3回もしたか?
とりわけ登山が好きなわけでもない

登頂したら「何か」感動することがあると思っていた
頂上の先に何かあると

何もない 

ただ実感したことは

1 頂上に登らないとみることができない景色を見た

2  登ったという事実

3  歩き続けたら頂上に着く

ただ、3回とも確信していたのは
必ず頂上に着くということ

頂上についたら「何か」感動すると思っていたのにない
「何か」をしたら幸せになれるかと思ったのにない

期待の先には何もない
私が本当に求めていたものは・・・



1度目は、26歳くらいの時に友達に誘われて初めて富士山に登った

ありがたいことに体力だけはあったので一緒に行った7人をおいて
先に登頂し、先に下山した
よくよく考えれば、ひどい女だ。協調性もない

登ってみるとわかると思うが

自分の歩くペースが崩れると登山はすごくしんどい

淡々と一定のペースで歩き続ける

ゆっくりでいいから歩みをできるだけ止めない

一定のペースで歩いているから呼吸が乱れた時に気づく

息を吐くことに重きをおき歩く

歩きながら体調と呼吸を整える

区切りをつけて休むところでは休む

そんなことを自分で調整しながら山には登っている

私は富士登山は素人だから
これが正しいのか間違っているのかはわからない

だけど私が「頂上」を目指すということだけに
フォーカスしたときに自分との対話で気づいたことだ

2度目
富士登山の話しをしたら友達も登りたいと言ったから登った
36歳くらいだったかな?友達はおしゃべりが大好き!
話しながら登った

山で出会う人も喋りながら登ったけど上に行くほど苦しい
早く頂上に登りたい。だけど、友達はおしゃべり大好き
ついつい出会う人と話したがる
それも楽しいのはわかるけど、私の優先順位は頂上

ようやく頂上へ着いた
登頂したのは嬉しい。ただそれだけ。

それ以上でもそれ以下でもない。他に何も感じない

雲の上だなぁ、今回は山頂に雪がたくさん残っていたから
最後、登りきることがしんどかったなぁ
息をいっぱい吸い込んで目を閉じたら岩肌しか出てこない

少し頂上ですごして、いざ、下山
下山となると、はりきる私!大得意!
転がるように降りていく
今にも転がりそうな勢いで降りていく

友達は上に登るごとに元気になるが
私は下へ下がるほど元気になる
尻餅をつきながら、あっという間に降りてくる

高校の時にも登山部ってあったけど私の気にも止まらなかった
下山部(げざん)があったら入っていたのかな?
でも登らないと降りれないし…まぁ、そんなことはどうでもいい

やはり何度登っても変わらず、しんどい

3度目
38歳くらいの時。
夏の富士山の山開きのニュースを聞くと、なぜか登りたくなる
めちゃくちゃ登山が楽しいわけでもないのに
気でも狂ったかと思っていた

やはりスケジュールを調整して予定を入れてしまう
でも今回だけは、みんなと登ると体力の差があるから
一人で登ろうと思った

夜、ストレッチクラスを終え、仮眠をして
夜中1時頃から運転し滋賀県から静岡県富士宮市へ。
そして2時間ほど富士宮5号目で仮眠をとり登頂へ

今回は5号目までで既に高山病になっている人を少し介護し
その後、ミュールやパンプスで登っているギャルたちに
持ってきたプロテインバーを分けて一緒に食べて
「これ以上、上に登らないように」と促した
ちょっとしたクッキーみたいなお菓子だがお腹が空いていたらしく
相当、美味しかったようで喜んでいた
さっさと登ろう。頂上だ!そして…頂上へ着いた

この私の雑な登山おわかりいただけただろうか?
私の大きな欠点を…見ているけど見えていないものを…


私は頂上に着く、これしか頭にない

しかし、途中に咲く高山植物や眼下に広がる雲海を
全く見ていないわけではなく
綺麗だなぁ、感動するなぁと見ている
鳳凰雲、彩雲も感動した


足を止めてゆっくりと観察もしている
途中で出会った人たちとの会話も覚えている

でも、頂上に着くまでの「過程」を楽しみきれていない
上っ面で楽しんでいるだけで

味わい尽くしていないかった

日常もそうだと気づいた
とにかく生き急ぐように生きてきたから

最終のゴール以外、強く意識して見ようとしていない
だから、見えていない
眼中に入ってこない

なぜ、こんなふうにゴールだけを目指して
プロセスを大事にしてこなかったか?

1  とりあえずたくさん体験できればいい
 中身よりも数だ!

2  なぜ、生き急いだか?
なぜ、生き急いだかというと
私の父は49歳で膵臓癌を患い他界している
そのとき私は19歳 こんなことを直感で感じていた

「私は父の年齢を超えることはできない
それ以上に生きることってないんだろうなぁ」

とにかく前倒しで前倒しで学び、経験しないと時間がない
そんな焦燥感と衝動にいつも駆られていた

当時はそんなことに気づいていない
時間がずいぶん経ってから気づいた

3  過程は通過点、頂上しか見ていない

過程を楽しんでいたらもっと広がる景色を
眺めて心に何かを受け止め
感じて染み込ませていただろう

ただ実務のように、目の前に起こることを流すかのように見ている
心の癖だったのだろう
見えてるようで見えてない
たくさんとりこぼしてきたと思う

ちょっと自分の人生を振り返り
マイストーリー(自分史)を書いていたら
この富士登山のことが強く蘇ってきた

生まれてきてから、私は少し不思議な感覚をもっていて

人はなぜ、生まれてくるんだろう?

なぜ、この両親のもとで生まれてきたのだろう?

この世で何をしたいんだろう?

なんだか違う世界に生まれてきた気がする

生まれてきてごめんなさい

幼少期からこんなことばかり考え物思いに耽っていた

この世で存在する親は両親だけど
見えないけど、私のすぐそばに他に両親がいると思っていた

こんな訳のわからぬ思考をわかって欲しくて
言葉足らずな中でも一生懸命、両親に伝えたがわかってもらえない

みんな、そんな感覚があるのだと思っていたら
そうではなかったみたいだから、自分のことを語らなくなった

その後も、こんな思考から生き方は不器用で

なぜ、自分を痛めつけるような挑戦ばかりしたがるんだろう?

なぜ、挑戦ばかりしようとするんだろう?
 結果か?満足感か?達成感が欲しいのか?挑戦はすれど得ても喜びはい

母親は「お願いだから普通にして」と懇願する
 求められる普通って何だろう?わからない

行きにくさを感じて生きてきた

私が興味あることは昔も今も、心に関わること。
西洋占星学とか、スピリチュアルとか、本質を求めること
手先を動かすことはなんでも好き
何かと一体になっている感覚があるからだ
パソコン入力をする
洋裁、和裁、編み物、発酵食作り、手仕事…

流行れば廃るし、エクステをつければ外さなきゃならない時がくる
マニキュアも手仕事の邪魔になるからつけない
エステは大好きだけど、肌を綺麗に保つ以外はほぼ興味ない
時代が変わっても大事なことにしか興味がない

「これはもっと、自分自身知らないと心が黙っていない」と感じて、
自分の生まれてから今までの歴史を書き出した

私はマインドマップでどんどん出した
そしたら、富士登山で気づいたこと他にやってきたこと
どれをとっても共通することがあった!

自分を深く知る、対話することで
過去繰り返してきたパターンがわかる

さらに今、時代の変革期!
私だけでなく、多くの人に今までを振り返り
要らぬ思考や価値観、真面目さ、合わなくなった人間関係
バッサリ断捨離が必要

もっと軽く、スピード感をもって行動していく、トライアンドエラーを
高速で回せた人が新しい価値提供を世の中に出していく

これからの自分をもう一度、生まれ変わらせる
再生して新しい時代へ飛び込んでいくためにも
自分の歴史 my new storyを書いてみる!

あなたの歩んだ道は確実に今と未来へつながっている!!

アウトプットすると
自分の言葉、表現方法、目指したい場所
これから出会う人が変わってくる!

今までとは違う新しい地図をもって冒険に出かけよう!

My new story  アウトプットワーク(勉強会)を
毎週木曜日 9時からと20時から(1時間)
2回(同じ内容)実施しています
参加ご希望の方は ライン公式からお申し込みください

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